創作民話 野原の診療所2023年03月29日 23:19

野原の診療所


 さきほどザッザーと吹いた風は、もうむこうの尾根をひといきにかけのぼっていきます。
 金蔵さんは、肩の鉄砲を背負いなおしながら、ふり返って清吉さんにききました。
 「まだ痛むのかい。」
 「ううむ。」
 左手でほっぺたをおさえ、眼をウサギよりももっと真っ赤にした清吉さんは、口を開くことさえかなわないというふうに返事をしました。
 実は、鉄砲うちの上手な金蔵さんにさそわれて、清吉さんは初めて猟にきたのですが、まだけものの姿も見ないうちに、古い虫歯が痛みだしたのです。
 「けものを射ち殺そうなどと思った罰があたったのだよねえ。」
 清吉さんが顔をクショクショさせていうと、金蔵さんは半分ふてて首をふりました。
 「そんなことをいったら、わたしはどうなるのだね。もう長いこと猟をしているのだよ。わたしの方こそ罰があたるはずじゃあないか。考えすぎだよ。」
 それからしばらくは、二人ともお互いに自分でいったことに悪い気持がして、だまったまま歩きつづけました。

 やがて、森の木々がまばらになり、ススキ原の青い波が陽の光をはねかえしながら、目の前におしよせてきました。
 「こういう葉っぱは、よく手を切るんだ。気をつけなくちゃあね。」
 ぶつぶつとつぶやきながら、ススキの海を先になって泳いでいた金蔵さんが、とつぜん「あっ!」と声をあげました。
 「やあ、よかった。こんな山奥に診療所があるなんて。ほらごらんよ、うまいことに歯科の看板も出ているぜ。」
 肩の鉄砲をいまいちどかつぎなおし、額の汗をひとぬぐいすると、清吉さんの手をぐいと引っぱってズンズン急ぎだしました。
 小さな農家を改造しただけの、そまつな診療所のなかへ、金蔵さんは先に立ってドシドシ入っていくと、受付の前に立ちました。窓ごしに、看護士さんの白い服が動いて見えます。
 「ごめんなさい。実は、つれの清吉さんの虫歯が痛みますもので、どうぞ見てやってください。」
 なかから、女の人の声が答えました。
 「そこにかけて、お待ちください。順番がきましたら、呼びますので。」
 二人はだれもいない待合室のイスに腰をおろしました。金蔵さんは、一つの長いすをまるでひとりじめするように、長々と横になると、大きなあくびを一つして、うとうとしはじめました。

 『やっぱり、ぼくは罰があたったんだ』と思いながら、清吉さんが歯の痛いのこらえていると、やがて「どうぞ、お入りください。」と声がしました。
 「あっ!」
 診察室に足をふみいれて、清吉さんは思わず息をのみました。なんと不思議な光景でしょう。いそがしくたちはたらく看護士さんも、いえそれよりも、こちらを向いてイスにすわっているお医者さんも、ほんとうにキツネなのです。
 歯の痛みなどすっかりわすれて、清吉さんが口をホワンとあけていると、先生のキツネが近よってきて、その口のなかをうかがいはじめました。
 「どれどれ。あーんこの歯がおこっているのだね。ふーむ。
 ところで、山には猟においでのごようすですが、どうです。獲物はありましたかな。」
 そうたずねられて、清吉さんはどう返事したらよいものかわからず、頭のなかが真っ赤になったり、黄色になったりしました。でも、なんとかおちついて、正直にいいました。
 「いいえ。山に入ってじきに虫歯が痛みだしたものですから、とても猟どころではありませんでした。」
 キツネの先生は何度もうなづいて、「それはよかった。」といいました。それからあわてて、「いやそれはそれは、あいにくでしたな。」といいなおし、ヒゲをなんべんか指でなでました。
 ひとが、歯が痛くて困っているというのに、よかったとはどういうつもりなのかしらと、清吉さんはちょっぴり腹だたしく思いました。
 「カワセミさんがすぐにおわりますから、そちらの診察イスにかけていてください。」
 先生の指さしたイスに腰かけると、なるほど、となりのイスにはカワセミが目になみだをためて、ちょこなんとすわっているではありませんか。痛みをウンムとこらえて、ひとっところをじっと見つめていますが、清吉さんは思わず吹きだしてしまいました。
 なにしろ、くちばしをグリグリと巻いた包帯がおもくて、いまにも頭が前にこけてしまいそうなくらいにバランスの悪いかっこうなのです。
 清吉さんが吹きだしたのをみとがめたようすで、キツネの先生は説明をしました。
 「カワセミさんは、昨日のことですけれど、花貫川で魚めがけて水の中にとびこんだのです。ところが、その魚が石だったのですよ。魚そっくりのね。気絶して、名馬里あたりの淵にプカプカ流されてきたところを、助けられたというわけです。まあ、いってみれば名誉の負傷ってやつですな。」

 ようやく清吉さんの番になりました。
 「これでよく今までガマンしていたねえ。さっそく抜いてしまった方がよいでしょう。」
 キツネの先生は、ヤットコを取りだし、「ううん、ううん」といきばりながら、清吉さんの虫歯を引き抜こうとします。口のなかにヤットコをつっ込まれて、目を白黒させた清吉さんも「ううん、ううん」とうなって痛みをこらえます。
 悪い歯を抜きおえると、キツネの先生は看護士さんに痛み止めを作るよう、いいつけました。看護士さんキツネは、ドクダミの葉を何かの木の根といっしょにすりまぜて、薬をつくりはじめました。
 いつのまにかとなりのイスには、カワセミの姿はなく、次の患者さんが治療をまっていました。かわいらしい子リスが、お母さんのひざにだかれて、ないています。お母さんリスは子リスをあやしながら、早口で先生にうったえるのです。
 「先生この子ったら、人間の落とした銀貨を何とかんちがいしたのか、かじってしまったんですよ。見てくださいなこの歯を。ボロボロになってしまいましたのよ。まったく、リスの前歯ほど大切なものは、この世にお天道さんのほかにないってのに、この子はほんとうに。」
 子リスはひどく痛むらしく、「うえん、うえん」としきりにないています。
 「まあまあお母さん、だいじょうぶですよ。どれ坊や、見せてごらん。すぐになおしてあげるからね。」
 キツネの先生は、その子の前歯を、裏から表からといくどもつくづくながめ、それからキノコに薬をふくませて、歯の欠けたところにぬりつけました。
 「さあ、これでもう痛くないだろう。ほらほら、もうなかないで。」
 「お母さん、そうですねえ、月が三日に欠けたらその次の日に、もう一度きてください。そうしたら、メノウで作った歯を入れてあげましょう。」
 リスのお母さんは、やっと泣きやんだ子リスをしっかり抱きしめながら、なんどもなんどもおじぎをして、診察室を出ていきました。
 入れちがいにやってきた新顔は、びっこをひいたシカです。
 「いやあ、猟犬どもに追いかけられてね。ごらんのとおり、足を二か所もかまれてしまいました。米平のあたりは、さいきん禁猟区になったはずなんですがねえ。」
 シカがはなしだすのをしおどきに、清吉さんは腰をあげて、ていねいにお礼をいいました。歯を抜いた痛みは、先ほどの薬のせいかもうすっかり消えていましたから。

 診療所を出ても、清吉さんはだまりこくって、何ごとかを考えこみながらあるきました。まだ眠りたりないといったふうの金蔵さんが、目をゴシゴシこすりこすり、「まだ痛むのかい?」とたずねても、「うんや」とへんじするばかり。
 「あーあ、今日はまったくついていないねえ。獲物はまったく姿を見せないし、清吉さんの歯はおこり出すし、まったく。」
 金蔵さんは、くだくだとぼやきました。
 「こういう日は早く家にかえって、上等のブランデーをちびちびやるのが一番だ。」
 二人は、もときた道をてくてくとずいぶん歩きました。もうそろそろ、陽が山のかげに落ちていくようです。
 そのときです。前を歩いていた金蔵さんが、小声で何かさけび、足をとめました。そして、肩の鉄砲をすばやくかまえると、一点にねらいをつけたのです。金蔵さんの銃は、外国製のすばらしく高価なもので、いつもじまんしているものです。
 清吉さんは、金蔵さんがねらいをさだめた先を見ました。高い木のこずえに、動いているけものがいます。どうやらリスのようです。「ひょっとしたら」清吉さんの頭のなかに、先ほど診療所に来ていたお母さんリスと子リスの姿がうかびました。清吉さんは、胸がたかなり、熱いものでいっぱいになりました。金蔵さんが息を少しはいて、いよいよ引き金にかけた指がうごきます。
 「いけない!」
 さけんで、金蔵さんの鉄砲を清吉さんがたたきました。同時に鉄砲はドーンと火をはきました。たまはずっとむこうの大木の根もとにあたっただけです。
 音におどろいたリスは、次の瞬間には深い木立のなかへと姿を消してしまいました。

 しばらくの間、金蔵さんは口をあんぐりあけたままでしたが、正気にもどると「コノヤロー」とどなって、清吉さんに銃口をむけました。怒りでいっぱいになり、ぶるぶるとふるえています。今にも引き金を引きそうなけんまくです。清吉さんが、うたれると思って目を閉じたその瞬間、金蔵さんが清吉さんのほほを平手で強くたたきました。そして、そのままドシドシ道を下っていってしまいました。
 歯を抜いたばかりのほっぺたをひどく強くぶたれたものですから、清吉さんは目になみだがあふれてきて、なきたい気持ちになりました。
 もう金蔵さんとは、友達ではなくなってしまったのです。二度と口をきいてくれないでしょう。
 清吉さんは悲しくなりました。でも、心のどこか、すみっこの方ではこう思います。
 『友だちも大切なものだけれども、もっとだいじな、お天道さまと同じくらいだいじなものを、ぼくはなくさないですんだんだ』
 とっくに陽が沈んで、山の空気がすっかり紫色になりはじめた道を、清吉さんは一人くだっていきました。