夏の朝2022年07月26日 21:53

あべ弘士特別奨励賞を受賞したときさききよしさんの『8月6日のあさ』の表紙絵
 また暑い夏が巡ってきました。何度か訪れた広島の夏は、特に暑く感じられました。
 この作品は、市民の朗読会にもお使いいただき、さらに絵本作家のときさききよしさんの絵本原作としても使用していただきました。「矢祭もったいない図書館手づくり絵本コンクール 」であべ弘士特別奨励賞を受賞しています。
 ロシアが核兵器の使用をほのめかし、重大な危機的局面に私たちは心を痛めています。この作品を通して、強く平和を、核兵器のない世界の実現を訴えていきたいと思います。




             夏の朝


 由之助くんは三輪車に乗って、勇ましく「軍艦マーチ」を歌っていました。今朝お母さんは、呉の海軍工廠に行く大きいお兄ちゃんにお弁当を渡しながら、疎開のため岡山に行っているちい兄ちゃんのことを心配していました。
 「手紙では、元気にしているようだけど、しっかり食べているのだろうかね。」
 「食料不足はどこでも一緒じゃけんね。」
 大きいお兄ちゃんは、ぼそっと言って出かけました。
 由之助くんは、そんな二人の暗い顔を見ているのが嫌で、三輪車に乗って、通りに出たのです。大きな声で、軍艦マーチを歌います。
 
 恵子ちゃんは、昨日お母さんが作ってくれた、とうきびの人形さんおんぶして、ままごと遊びの相手はおらんじゃろかと、さっちゃんちに向かいました。
 玄関から声をかけると、さっちゃんは元気よく返事をしてくれました。
 「ちいと、待っとってね。すぐ行くけん。」
 さっちゃんのお兄ちゃんも、やはり小学六年生で学童疎開をしていて、昨日手紙が届いたばかりでした。手紙には、由之助くんのちい兄ちゃんと同じように、疎開先での楽しい暮らしぶりがしたためられていました。
 でも、さっちゃんのお母さんは、手紙にかすかにシミがついているのを、見逃しませんでした。シミに気づくと、文字にいつものような勢いがないのさえ気になりました。
 さっちゃんは、洋服を着て玄関を飛び出し、恵子ちゃんに笑いかけました。
 
 信弘くんは、お母さんの言いつけで、江波のおばさんのところへ使いに行くところです。お父さんが、いよいよ外地に出征するというので、面会に持っていくぼた餅を作るための小豆をもらいに、おばさんのところへ行くのです。
 江波といってもとても近くなので、信弘くんはいつも一人で行けたのです。
 「おばちゃんに、またなにか美味しいものをもらえるかいね。朝飯が足りんかったもん。」
 暑くなり始めた青い空を眺めながら、大きく腕を振って歩きました。
 
 雪子お姉さんは、今年商工会にお勤めを始めたばかりです。お仕事は、初めてのことばかりで、なかなかうまくいきません。特に、紙に文字を印刷するタイプのお仕事は、毎日先輩に叱られてばかりです。
 でも雪子お姉さんは、恋人の広さんが戦場で頑張っていることを考えると、負けてはいられないと、自分に言い聞かせているのです。
 路面電車で、勤め先の商工会館に向かいながら、雪子お姉さんは広さんの顔を思い浮かべ、心の中が暖かくなるのでした。

 高橋さんは在郷軍人で、自分が先頭に立って防空訓練や、竹やりの戦闘訓練をしないと、みんなを守れないと必死な思いでした。
 今日も近くの広場で、お母さんたちを集めて、竹やりの訓練です。
 さっちゃんのお母さんは、へっぴり腰で、あれではアメ公をやっつけられないなあ。由之助くんのお母さんは、優しすぎて気合が足りない。そんなことを考えながら、ゲートルを巻き終え、奥に向かって「ほいじゃあ、いってくるけえね。」と声をかけました。
 奥から「行ってらっしゃい。」と返ってきました。

八月六日、雲一つなく良く晴れた、いつもと変りない朝です
八時十五分。
 由之助くんも由之助くんのお母さんも大きいお兄ちゃんも、恵子ちゃんも恵子ちゃんのお母さんも、さっちゃんもさっちゃんのお母さんも、信弘くんも信弘くんのお母さんもおばさんも、雪子お姉さんも、高橋さんも高橋さんの奥さんも、まぶしい光に包まれました。