創作民話 ゴンゴロ岩のお話し ― 2022年04月10日 20:46
新型コロナウィルスの影響でお子さんたちに童話や民話を読み聞かせする機会が増えたことと思います。このブログでは、地域的には「常陸の国」の北の地域を主な舞台とした創作民話を中心に、発信していきたいと思います。
第1回の物語は「ゴンゴロ岩のお話し」です。
ゴンゴロ岩のお話し
これは、中学生時代の同級生だった茂君から、五十年ほど前に聞いたお話しです。茂君は、高萩の山間部にある中戸川というところに住んでいて、中学校にはスクールバスで通学していました。ときおり、猪が出没するらしく、バスにぶつかってこないように「とおりゃんせ」の音楽を流しながら走ってくるのです。
中戸川は、花貫川の支流が流れていて、ちょうど谷あいになっています。谷の両岸に開けたところは、水田にむいており、住居は谷に沿って伸びる道路の上の斜面を切り拓いて、十数件の集落を作っています。
さらに、家の上の斜面を畑にして、こんにゃくやそばを栽培します。そしてなによりも、この集落の主な仕事は、山の木を育てる林業が中心でした。
今日は、そんな村のゴンゴロ岩のお話しです。
茂君によれば、その大きな岩の塊は、谷の上流にデンと居座っていたそうです。高さは、茂君の背丈の三倍はあったといいますから、五メートルほどもあったのではないでしょうか。
夏に突然の夕立がきて、雷が鳴り出すと、ゴンゴロ岩は「こわいよう。こわいよう。」と大きな泣き声を上げるのだそうです。
村の人たちは雷に備えて、家の雨戸を立てていますが、雷のドンコロピッシャーンという音と、ゴンゴロ岩の「こわいよう。こわいよう。」の悲しげな大声とに、「またゴンゴロ岩が逃げ出そうとしているのか。」と、家の中でひやひやするのでした。
「そろそろ天狗さまにおいでいただかないと、ゴンゴロ岩がまた転げだしてしまうぞ。」と、不安げに顔を見合わせます。
天狗さまとは、土岳山に棲む大天狗のことで、中戸川の人たちは立派なお社をたてて、先祖代々大切にお祀りしていました。村の人たちが、「どうぞ、ゴンゴロ岩が動き出さないように、お助け下さい。」と、いつも熱心にお祈りに来ますので、ゴンゴロ岩が夕立のたんびに「こわいよう。こわいよう。」と泣き叫びながら、ゴンゴロ、ゴンゴロと谷を転げ下っていくのを、天狗さまは一生懸命に防ぐ仕事を引き受けているのです。
「ゴンゴロ岩よ、そう怖がることはない。わしが一緒にいてあげるから。ほうれ、大きな声で泣くでない。村の衆がこわがるではないか。」
そう言ってゴンゴロ岩をなだめては、転がりださないように押さえつけていました。でも、ときどき(数年に一度くらいですが)天狗さまの駆けつけるのが間に合わず、ゴンゴロ岩が谷を転がり落ちることがありました。その時は、谷の周辺で育てていた、あと二か月もすれば収穫を迎えるはずの田んぼが、めちゃめちゃになってしまいました。そんな年は、上の畑でとれる作物だけで飢えをしのいできたのです。
不思議なことに、雷がやむとゴンゴロ岩は、その晩のうちに元の場所にそっくり戻っているのです。そんなゴンゴロ岩を村の人たちは、天狗さまと同じくらい心を込めてお祀りし、お供え物も欠かしませんでした。しかし、ゴンゴロ岩の臆病虫は収まらないのでした。
そのお話しを茂君から聞いてから、二十年ほどたってのことです。中戸川の地を広域農道が通ることになり、技師やたくさんの工事の人たちが、わやわやとやってきました。
ゴンゴロ岩は、一度にこんなにたくさんの人間を見るのは初めてです。人がいっぱいいる昼間は、じっとして息を殺していたけれど、夜になって一人きりになると、やっぱり「こわいよう。こわいよう。」と泣きだしました。
そんな様子を見かねて、天狗さまがゴンゴロ岩をなでてやりながら、「わしにも、これからどうなるのかわからないが、村の人たちは決しておまえを悪いようにはせんだろう。あきらめるでない。」と励ましたのですが、天狗さまの表情はどこか悲しげでありました。
いざ工事が始まりますと、やはりゴンゴロ岩が邪魔になってしまいました。技師たちは相談をし、岩を粉々にして道路の材料にしようということになり、黄色い大きな重機が運び込まれました。
それを聞きつけた村の人たちは、「それではゴンゴロ岩が、あまりにかわいそうだ。何とか助けてほしい。」と、みんなで技師に訴えました。
村の人たちと技師たちとで、もう一度相談をして、ゴンゴロ岩を谷の下流の安定したところに移動させることと、重機で運べるくらいに小さくするということ、残った石くずは道路の材料に使わせてもらう、ということでまとまりました。
当日は、村の人たちがお神酒をあげ、団子などをお供えして、心を込めてご祈祷をしました。
天狗さまも、人間に見えないように天狗蓑を着て、ゴンゴロ岩のそばにいてあげました。
ゴンゴロ岩は、これから起こることが不安で不安でなりませんした。思いっきり泣きだしたいところですが、こんなに大勢の人がいては泣き出すわけにもいきません。それに、大好きな天狗さまが一緒にいてくださるのですから。
作業が始まりました。最初に、重機のハンマードリルで一発、どどーっと打ちのめされました。その瞬間、ゴンゴロ岩は気を失ってしまい、そのあとのことは何も知りません。
新しくできた汐見大橋の手前を、中戸川方面に向かって入っていくと、人の背丈ほどに小さくなった岩が数本の木立に囲まれて、明るく広がった広域農道を静かに見つめています。あれ以来、ゴンゴロ岩の声を聴いたという人はいないそうです。
『常陸国風土記』という古い書物に、「草木言語ひし時(くさきことといしとき)」と記されています。大昔は、草木や石、風や水など自然のあらゆるものに神さまや精霊が宿っていて、うるさいくらいに言葉を話していたといいます。やがて、西の方からとても力の強い神々がやってきて、これらの土地の神さまや精霊たちをことごとく滅ぼしてしまったらしいのですが、山深い中戸川にあったゴンゴロ岩は、幸い生き残っていた古い神さまだったのかも知れません。
あとがき
このお話しは、「神殺し」です。『常陸国風土記』は、大和政権による壮大な神殺しの物語です。在地の神々を圧倒的な暴力で抹殺することで、地方を「ことむけ」てきたのでした。
神々は「文明」という名の新しい神に滅ぼされました。それは、現在も続けられている神殺しの序章だったのです。神=自然は科学という文明の新しい神によって傷つけられています。まさに瀕死の状態にあるかのようにみえます。
しかし、人は気づくでしょう。自らが生み出した凶暴な神もまた、古の神々のとるに足らない一部にしかすぎないということを。
第1回の物語は「ゴンゴロ岩のお話し」です。
ゴンゴロ岩のお話し
これは、中学生時代の同級生だった茂君から、五十年ほど前に聞いたお話しです。茂君は、高萩の山間部にある中戸川というところに住んでいて、中学校にはスクールバスで通学していました。ときおり、猪が出没するらしく、バスにぶつかってこないように「とおりゃんせ」の音楽を流しながら走ってくるのです。
中戸川は、花貫川の支流が流れていて、ちょうど谷あいになっています。谷の両岸に開けたところは、水田にむいており、住居は谷に沿って伸びる道路の上の斜面を切り拓いて、十数件の集落を作っています。
さらに、家の上の斜面を畑にして、こんにゃくやそばを栽培します。そしてなによりも、この集落の主な仕事は、山の木を育てる林業が中心でした。
今日は、そんな村のゴンゴロ岩のお話しです。
茂君によれば、その大きな岩の塊は、谷の上流にデンと居座っていたそうです。高さは、茂君の背丈の三倍はあったといいますから、五メートルほどもあったのではないでしょうか。
夏に突然の夕立がきて、雷が鳴り出すと、ゴンゴロ岩は「こわいよう。こわいよう。」と大きな泣き声を上げるのだそうです。
村の人たちは雷に備えて、家の雨戸を立てていますが、雷のドンコロピッシャーンという音と、ゴンゴロ岩の「こわいよう。こわいよう。」の悲しげな大声とに、「またゴンゴロ岩が逃げ出そうとしているのか。」と、家の中でひやひやするのでした。
「そろそろ天狗さまにおいでいただかないと、ゴンゴロ岩がまた転げだしてしまうぞ。」と、不安げに顔を見合わせます。
天狗さまとは、土岳山に棲む大天狗のことで、中戸川の人たちは立派なお社をたてて、先祖代々大切にお祀りしていました。村の人たちが、「どうぞ、ゴンゴロ岩が動き出さないように、お助け下さい。」と、いつも熱心にお祈りに来ますので、ゴンゴロ岩が夕立のたんびに「こわいよう。こわいよう。」と泣き叫びながら、ゴンゴロ、ゴンゴロと谷を転げ下っていくのを、天狗さまは一生懸命に防ぐ仕事を引き受けているのです。
「ゴンゴロ岩よ、そう怖がることはない。わしが一緒にいてあげるから。ほうれ、大きな声で泣くでない。村の衆がこわがるではないか。」
そう言ってゴンゴロ岩をなだめては、転がりださないように押さえつけていました。でも、ときどき(数年に一度くらいですが)天狗さまの駆けつけるのが間に合わず、ゴンゴロ岩が谷を転がり落ちることがありました。その時は、谷の周辺で育てていた、あと二か月もすれば収穫を迎えるはずの田んぼが、めちゃめちゃになってしまいました。そんな年は、上の畑でとれる作物だけで飢えをしのいできたのです。
不思議なことに、雷がやむとゴンゴロ岩は、その晩のうちに元の場所にそっくり戻っているのです。そんなゴンゴロ岩を村の人たちは、天狗さまと同じくらい心を込めてお祀りし、お供え物も欠かしませんでした。しかし、ゴンゴロ岩の臆病虫は収まらないのでした。
そのお話しを茂君から聞いてから、二十年ほどたってのことです。中戸川の地を広域農道が通ることになり、技師やたくさんの工事の人たちが、わやわやとやってきました。
ゴンゴロ岩は、一度にこんなにたくさんの人間を見るのは初めてです。人がいっぱいいる昼間は、じっとして息を殺していたけれど、夜になって一人きりになると、やっぱり「こわいよう。こわいよう。」と泣きだしました。
そんな様子を見かねて、天狗さまがゴンゴロ岩をなでてやりながら、「わしにも、これからどうなるのかわからないが、村の人たちは決しておまえを悪いようにはせんだろう。あきらめるでない。」と励ましたのですが、天狗さまの表情はどこか悲しげでありました。
いざ工事が始まりますと、やはりゴンゴロ岩が邪魔になってしまいました。技師たちは相談をし、岩を粉々にして道路の材料にしようということになり、黄色い大きな重機が運び込まれました。
それを聞きつけた村の人たちは、「それではゴンゴロ岩が、あまりにかわいそうだ。何とか助けてほしい。」と、みんなで技師に訴えました。
村の人たちと技師たちとで、もう一度相談をして、ゴンゴロ岩を谷の下流の安定したところに移動させることと、重機で運べるくらいに小さくするということ、残った石くずは道路の材料に使わせてもらう、ということでまとまりました。
当日は、村の人たちがお神酒をあげ、団子などをお供えして、心を込めてご祈祷をしました。
天狗さまも、人間に見えないように天狗蓑を着て、ゴンゴロ岩のそばにいてあげました。
ゴンゴロ岩は、これから起こることが不安で不安でなりませんした。思いっきり泣きだしたいところですが、こんなに大勢の人がいては泣き出すわけにもいきません。それに、大好きな天狗さまが一緒にいてくださるのですから。
作業が始まりました。最初に、重機のハンマードリルで一発、どどーっと打ちのめされました。その瞬間、ゴンゴロ岩は気を失ってしまい、そのあとのことは何も知りません。
新しくできた汐見大橋の手前を、中戸川方面に向かって入っていくと、人の背丈ほどに小さくなった岩が数本の木立に囲まれて、明るく広がった広域農道を静かに見つめています。あれ以来、ゴンゴロ岩の声を聴いたという人はいないそうです。
『常陸国風土記』という古い書物に、「草木言語ひし時(くさきことといしとき)」と記されています。大昔は、草木や石、風や水など自然のあらゆるものに神さまや精霊が宿っていて、うるさいくらいに言葉を話していたといいます。やがて、西の方からとても力の強い神々がやってきて、これらの土地の神さまや精霊たちをことごとく滅ぼしてしまったらしいのですが、山深い中戸川にあったゴンゴロ岩は、幸い生き残っていた古い神さまだったのかも知れません。
あとがき
このお話しは、「神殺し」です。『常陸国風土記』は、大和政権による壮大な神殺しの物語です。在地の神々を圧倒的な暴力で抹殺することで、地方を「ことむけ」てきたのでした。
神々は「文明」という名の新しい神に滅ぼされました。それは、現在も続けられている神殺しの序章だったのです。神=自然は科学という文明の新しい神によって傷つけられています。まさに瀕死の状態にあるかのようにみえます。
しかし、人は気づくでしょう。自らが生み出した凶暴な神もまた、古の神々のとるに足らない一部にしかすぎないということを。
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